写真:水俣病被害者互助会の「認定義務付け訴訟」開廷前の集会@熊本地裁前 話しているのは、団長の佐藤英樹さん(2018年11月30日撮影 番園寛也)
「四大公害裁判」の一つとして教科書に載っている水俣病。今年2021年は、1956年の公式確認から65年、患者さんが勝訴した最初の裁判の判決(1973年)から48年になります。でも、水俣病は終わっていません。終わっていないって、いったいどういうことでしょうか?
・・・主に3つのことがあります。
1-1 裁判が10件(新潟も含む)続いています。1600人が、いまも水俣病の認定を求めています。
チッソ水俣工場は海に36年間も有害物質のメチル水銀を流し続けました。その総量は分かっていません。25ppm未満の水銀を含むヘドロが、今も水俣湾と不知火海の底に残されたままです。被害を受けた人の総数も分かっていません。チッソがメチル水銀の排出を止めた1968年までに、子どもからお年寄りまで、少なくとも42人が激しい神経症状を呈し、苦しみながら死んでいきました。生き残った人たちも、運動失調や視野狭窄、手や足の感覚障害などで苦しみ続けています。新潟で発生した第2水俣病と併せて、これまでに約7万人が水俣病患者と認定されたり被害者として償いを受けたり医療費の補助を受けたりしましたが、その枠から外された人、申請の締切りに間に合わず放置された人などが、裁判などを続けています。
表:係争中の裁判一覧表(季刊水俣支援編集部作成)
資料:水俣病被害者・支援者連絡会の共同要求書
なぜこんなことになるのか。2009年に制定された「水俣病特別措置法」では、被害を受けた可能性のある地域住民の「健康調査」を国が行うと定められました。しかしいまだに調査は開始されていません。コロナと同じで「調査をしなければ患者はいない」と思いたいのでしょうか。これでは、いつまでたっても解決しません。
1-2 胎児性患者たちは未来の生活に不安を抱えています。
水俣病と認定され補償を受けても、問題が解決するわけではありません。それをはっきりと示しているのが、母親のお腹の中でメチル水銀の影響を受けた胎児性水俣病の患者さんたちです。彼ら彼女らの多くがいま還暦を過ぎ、介護してくれていた両親が他界、自身の健康も悪化する中、苦難と向き合い続けています。
1-3 水俣病を教訓に水銀使用を規制する「水俣条約」は始まったばかりです。
世界中の研究者や行政にかかわる人々が水俣を訪ね熊本で調印した「水銀についての水俣条約」は、50カ国以上の批准を得て2017年に発効しました。胎児性患者の坂本しのぶさん・松永幸一郎さんは車イスで仲間と共にジュネーブの国際会議に行き、「私たちのような被害を繰り返さないで」と各国の人々に呼びかけました。二度と水俣病を起こさない、世界がそれを実現できるかどうかは、これからです。
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