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水俣湾の朝日

「水俣病の今」と出会うサイト
〈水俣〉を語ろう

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このサイトについて

 

 みなさんは「水俣病」を知っていますか? 

 

 熊本県水俣市は、海がきれいで魚がおいしい風光明媚な地方の町です。いまから67年前の、1956(昭和31)年に、その水俣で深刻な食中毒事件が起きました。地元の魚介類を食べた住民が、幼子からお年寄りまで次々に激しいけいれんを起こしたり、身体が硬直したり、歩けなくなったり、言葉がしゃべれなくなったり、目がよく見えなくなったり、様々な症状や痛みに悶え苦しみました。そして重症の患者さんは、次々と亡くなっていったのです。

 

 原因は化学企業「チッソ」水俣工場の廃水でした。当時チッソは高度経済成長の波に乗り、プラスチックの原料となるアセトアルデヒドの増産に励んでいました。その廃水に含まれていた有毒のメチル水銀が​食物連鎖を通じて魚介類を汚染したのです。しかし行政が廃水停止を命ずることはなく、漁獲禁止も行わなかったため、深刻な被害が不知火海の多くの地域に広がってしまいました。これが「水俣病」事件です。

  ⇒詳しくはQ&A水俣病3:責任はだれにあるのですか?

 

 同様の工場は日本各地にありましたが対策は取られませんでした。そして9年後の1965(昭和40)年に、新潟県の阿賀野川でも「水俣病」が発生します(原因企業は「昭和電工」、第二水俣病、または新潟水俣病と呼ばれています)。その間も水俣では有毒な廃水が海に流され続けました。廃水が止まったのはアセトアルデヒドの生産が終了した1968(昭和43)年です。汚染は数十万人が暮らす不知火間沿岸一帯に拡大したと見られています。しかし、これまでに、どれだけの人が汚染された魚を食べ、何人が健康被害を受けたのか、行政による網羅的な調査は一度も行われず、不明のままです。住民健康調査を行うことは水俣病特別措置法に明記されているのに、法の成立から十数年経っても国・環境省はそれを怠り続けているのです。

⇒詳しくはQ&A水俣病5:患者・被害者は何人いるのですか?

 

 メチル水銀は脳の神経を侵すことが分かっています。その最初の症状が全身または両手足の先に行くほど酷くなる「感覚障害」だと言われています。不知火海沿岸には、このような感覚障害を持つ人が現在分かっているだけで約7万人、その背後に感覚障害を持つ人が数十万人いる可能性があります。しかし大部分の人たちは、行政から正式に「水俣病」とは認められていません。2022年までに3万人以上が申請しましたが、行政に認定された患者は熊本・鹿児島と新潟併せてで3000人です。

⇒詳しくはQ&A水俣病4:患者さんや住民は何に苦しんでいますか?

 

 「水俣病」は事件そのものが、終わっていないのです。

 

 2021年9月、米国の人気俳優ジョニー・デップ主演のハリウッド映画「MINAMATA―ミナマタ―」が公開され話題を呼びました。この映画は、1971年に米国の有名な写真家であるW.ユージン・スミス(1918-1978)が妻のアイリーン・美緒子・スミスと2人で水俣に移り住み、患者さんとともに暮らしながら3年あまりにわたって撮影を続けた写真集を元に制作されています。映画では、一次訴訟の原告と未認定患者たちの闘いが描かれています。 

  ⇒詳しくは映画『MINAMATA−ミナマタ−』の見どころと史実との関係

 

 私たちは映画「MINAMATA―ミナマタ―」の公開をきっかけに、水俣病の知識や課題についてできるだけ正確に、分かりやすく、楽しく学んでもらう「入り口」として、このサイトを立ち上げました。利用する皆さんが少しでも水俣病について知り、考えるきっかけになればと願っています。

 

 水俣には、豊かな暮らしがあり、すばらしい人たちとの多くの出会いがあります。「水俣病」の歴史と今を考え、そして<水俣>の今についても発信していきたいと思っています。

 <水俣>をいっしょに語りませんか?

 

運営委員一同

 

アイリーン・美緒子・スミス(グリーン・アクション/京都)
久保田好生(季刊「水俣支援」編集部/東京)
倉持陽菜子(大学生/東京)

斎藤靖史(ジャーナリスト/水俣)
白木喜一郎(「天の魚」出前プロジェクト/東京)
野澤淳史(東京経済大学/東京)
番園寛也(大学職員/東京)
山口智也(テレビ番組制作者/東京)

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