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【全文掲載】水俣・百間排水口を歴史的遺構として現場保存することを求める有識者会議 アピール


写真:1960年ごろの百間排水口付近の様子(桑原史成撮影)


2023年6月中旬、水俣市は百間排水口の遺構の撤去を発表しました。老朽化が理由とのことですが、水俣病の原点と言える百間排水口は歴史的遺構であり、保存と撤去中止の声が多くの人たちから上がりました。「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」は水俣市と熊本市に要望書を提出しました。その後、オンライン署名や「水俣・百間排水口を歴史的遺構として現場保存することを求める有識者会議」の発足と意見表明などの動きがありました。


「水俣の歴史遺構を残す会」の訴えが通じ、水俣市に代わって<熊本県が排水口と遺構を管理すること>、<今後については文化財に位置付けることも視野に、「残す会」と話し合っていくこと>が覚書で確認されました。

(その約束を前提に、樋門フラップ4枚は8月末に一旦外され、市内の県環境センターに保管されています。)


写真:一旦撤去された樋門の扉部分(斎藤靖史撮影)


以下に、「水俣・百間排水口を歴史的遺構として現場保存することを求める有識者会議」のアピールを全文掲載します。



水俣・百間排水口を歴史的遺構として現場保存することを求める有識者会議 アピール 2023 年 7 月 19 日


水俣市は 7 月に入り、水俣病の原因企業であるチッソ株式会社(1964 年以前は新日本窒素肥料株式会社、以降チッソと表記)がメチル水銀を含む有害な工場排水を垂れ流し続けた場所として知られる「百間ひゃっけん排水口」(同市汐見町)の桶門とコンクリート製の足場の撤去に着手しようとしています。現時点では、これに抗議する胎児性患者の県知事宛要望書提出や患者・市民の行政交渉などにより工事を食い止めていますが、この歴史的な場所の保存に関する十分な議論がないまま、強引に開始されてしまう恐れがあります。私たちは、水俣市の工事計画に反対する「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」や「水俣の歴史的遺構を残す会」などの市民の声に賛同し、この有識者会議を立ち上げました。

今回の水俣市の計画には 4 つの問題点があり、それらに対し、私たちは次のように考えています。


■第一に、水俣病の「爆心地」に無用な手を加えようとしている点です。2023 年 5 月 1日の水俣病犠牲者慰霊式で、西村明宏環境大臣は「私たち

一人一人が水俣病問題と向き合い、またその歴史と教訓を引き継いでいくため」尽力すると述べています 1)。

であるならば、その現場の形を変えてしまうことには、チッソはもとよりその場を管理する水俣市においても許されることではありません。私たち

は、百間排水口を広島の原爆ドームに匹敵する歴史文化遺産として考えています。桶門を撤去してどこかに保存する案ではなく、あくまでも修繕した

上での現地保存を求めます。そして、排水口を中心に水俣病に関する歴史風致地区を設定し、文化財・産業遺構として残し続けるための議論を開始す

ることを希望します。

■第二に、行政の不作為という点です。百間排水口は水俣病問題における行政の不作為という痛恨の歴史の現場です。水俣病の原因物質であるメチル

水銀は 1932 年から 68 年にかけて、チッソがアセトアルデヒド製造工程を停止するまで一度も排出規制が行われずに垂れ流され、水俣病被害を拡

大させました。市は「桶門の腐食が著しく、市民の生命財産を守るために大雨が懸念される梅雨末期を前に撤去したい」と、工事の必要性の理由を挙

げます 1)。

30 年以上に渡り何もしてこなかった行政が、なぜ今撤去を急ぐのでしょうか。近年頻発する豪雨災害への警戒が必要であることは言うまでも

ありませんが、のちに述べる文化的・教育的価値を損ねてまでも樋門撤去・足場解体にこだわる背後には「現場を保存したくない」という意思が働い

ていると疑わざるを得ません。そしてこの動きを止めようとしない国と熊本県の姿勢にも疑問を感じざるを得ません。私たちは国と熊本県が、水俣

市が現場保存するよう強い行政指導をすることを求めます。水俣病の被害の拡大を止められなかったことでその行政責任が 2004 年の最高裁判決で

確定した国と県に、これ以上の不作為は許されません。

■第三に、仮に百間排水口の桶門が撤去された場合に予想される世界的な反響です。2021年に、水俣病を世界に知らしめた写真家ユージン・スミス

をモデルにした映画『MINAMATA』が公開されたことは記憶に新しいところです。水銀を含む製品の製造と輸出入の規制をめぐる条約は、Minamata

Convention on Mercury(水俣条約)と呼ばれます。水俣という言葉や場所が持つ影響力は世界的です。

ところで、1992 年に日本で初めての「環境モデル都市づくり宣言」を行い、2008 年には国の環境モデル都市に認定された水俣市は、「水俣市環境

モデル都市第 3 期行動計画」(令和 5 年 3 月)の中で、「本市の環境モデル都市づくりを全世界に波及させるため、引き続き、水俣病資料館等にお

ける公害学習、水俣病の教訓発信に取り組む」ことで持続可能な地域社会づくりの形成に寄与する姿勢を打ち出しています 3)。こうした水俣市の環

境政策と桶門の撤去を推し進める姿勢は矛盾しています。私たちは、この行動計画に基づき百間排水口を現場保存してそこを学びの起点とし、その上

で、水俣市の持続可能な地域社会づくりが全世界に発信されていくことを求めます。

■第四に、百間排水口は、桶門やその足場なども含め原爆ドームに比肩する、もはや日本だけでなく世界に注目される文化財歴史遺産であるという点

です。水俣病被害者運動を率い、のちに水俣市議にもなった川本輝夫さんは、市議会一般質問の中で市長に対し水俣湾を世界遺産にするよう求めたこ

とがありました 4)。

公害・環境教育や大学ゼミ合宿等でのフィールドワーク、国内外の研究者の調査において現場に立つことの意味、その研究・教育的な重要性はどん

なに強調してもしすぎることはありません。百間排水口は水俣市にとって、これまでも、そしてこれからも教育や観光の貴重な資源でもあるはずで、

それを失うのは余りにもったいないことです。排水口の一部を撤去して別の場所に展示するという案も含め、それらを進めたり黙認することは、文化

遺産の破壊者としてのちの時代に非難されるでしょう。私たちは、水俣市の計画を、明治初期に廃仏毀釈という国策が文化財を毀損したことと同じ問

題として捉えています。あくまでも現場保存を求めます。

私たちは水俣という言葉や場所に、そこを管理するというだけで水俣市が無用な手を加えていくことに反対します。水俣病の教訓を後世だけでなく

現世代にも広く発信し続けるためにも、私たちは今回の市の決定が撤回され、それとはまったく違った形で、水俣病に関するさまざまな歴史的遺構の

保存に向けた議論が活性化されていくことを求めます。

1)令和 5 年度 環境大臣「祈りの言葉」https://www.city.minamata.lg.jp/kiji0033293/3_3293_up_agx7jgb5.pdf(2023.7.10 取得)。

2)『西日本新聞』「百間排水口 『水俣病の象徴 桶門保存を』 患者や支援者が市に申し入れ」(2023 年 6 月 21 日)。

3)「水俣市環境モデル都市第 3 期行動計画」https://www.city.minamata.lg.jp/kankyo/kiji00372/3_72_13761_up_8mejkqyb.pdf(2023.7.10 取得)。

4)川本輝夫(2006)『水俣病誌』世織書房。発言は 1998 年 11 月 30 日の水俣市議会一般質問の場において。


【呼びかけ人】 アイリーン・美緒子・スミス(写真集 MINAMATA 共著者/グリーン・アクション) 安藤聡彦(埼玉大学) いとうせいこう(作家) 上野千鶴子(NPO 法人ウィメンズアクションネットワーク (WAN)) 小林繁(明治大学) 田中優子(法政大学)中島岳志(東京工業大学) 野澤淳史(東京経済大学) 柳田邦男(環境省「水俣病問題に関わる懇談会」元委員/作家) 若松英輔(批評家)


【問い合わせ先(事務局)】

水俣・百間排水口を歴史的遺構として現場保存を求める有識者会議

野澤 淳史 anzw_21@tku.ac.jp。

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