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映画紹介:原一男監督のドキュメント映画『水俣曼荼羅(みなまたまんだら)』


『水俣曼荼羅』にも登場する関西訴訟原告団長の川上敏行さんのイラスト
『水俣曼荼羅』にも登場する関西訴訟原告団長の川上敏行さん(イラスト:久保田好生)

「さようならCP」「ゆきゆきて、神軍」などの話題作で著名な原一男監督が十数年かけて撮った『水俣曼荼羅』が公開された。ハリウッド映画で水俣に関心をもった人にもぜひ観て頂きたい、21世紀水俣病の長編ドキュメント。6時間12分、休憩をはさんだ三部作の概要と見どころを紹介する。


■「終わり」からのクランクイン

 2004年10月、原監督の映画撮影は、晴天の最高裁判所前でクランクイン(撮影開始)した。その日は「チッソ水俣病関西訴訟」の判決である。東京の支援者としては傍聴券の差配に手一杯だったが、関西の支援仲間から「今日から原さんが水俣病の映画を撮る」と聞いていた。傍聴者が出入りする西門と原告や弁護士が入る正門との間は徒歩5分ほど離れていて、原監督とスタッフがワゴン車で正門と西門を往復していたことを思い出す。

 水俣病関西訴訟の最高裁判決は原告患者の勝訴。医学的には「中枢神経損傷説」を採用して未認定患者をメチル水銀中毒の被害者とし、国と熊本県の水俣病拡大責任を認めた判決が初めて確定した。

 1995年の村山内閣による政府解決(第一次政治決着)は、救済対象者を水俣病とは認定しない、国の水俣病責任も認めない、という限界を含んでいたから、その和解策を受けずに裁判を貫いた関西訴訟団が一矢も二矢も報いた形である。原告団長川上敏行さんの笑顔が、この長編ドキュメントの冒頭を鮮やかに彩っている。


■ 関西訴訟原告その後

 判決を受けて環境省の環境保健部長が原告宅を詫びてまわる。そしてカメラは以後も川上敏行団長をはじめ、原告団の岩本章さん、小笹恵さん、坂本美代子さん、面木学さん・・・関西の患者・家族を追い続ける。

 判決で一定の補償を受けても、国の法律による「水俣病認定」とは基準が違うので、患者の闘いも闘病も続いていく。


■「中枢神経損傷説」の展開

 そして、勝訴の大きな要因となった「中枢神経損傷説(中枢説)」について、浴野成生医師(えきのしげお 当時熊本大学医学部教授)や二宮正医師の語りや画像が示される。「中枢説」とは、四肢末端に強いといわれる水俣病の感覚障害の原因(ダメージを受けた部位。医学的には「責任病巣」)が、手足の末梢神経ではなく、脳:中枢神経だという医学論。コンピュータに例えれば、水俣病の感覚障害は末端のセンサーではなく、CPU(中央演算機能)の故障ということになる。

 ただし,「メチル水銀の心身へのダメージの実態をより極めたい」とする研究者の熱意と、「それに協力する患者の悩みや迷い」が交錯し、医師の目的が達せられなかった、予定調和でないドラマも展開する。映画はその発端から結末までを淡々と記録しているが、原さん映画のファンもそうでない人にも、見逃せない場面の一つかもしれない。


■ 水俣病闘争 21世紀の展開

 さてしかし、水俣病闘争は関西訴訟判決が「大団円」ではなかった。チッソや国・熊本県はもとより、私たちにとっても予想外の展開が待っていた。それは、最高裁判決に背中を押される形で、新潟も含め6万5千人に及ぶ、新たな未認定患者が水俣病被害者としての補償救済を求めて名乗りを上げたからだ。不知火海の広域にわたって長期微量汚染で体の不具合を持つ潜在被害者が、まだ多数いたのである。結果、関西訴訟団は水俣病闘争の「最終ランナー」ではなく「中興の祖」となった。

 カメラは大阪から水俣に移り、水俣病認定を求めて行政不服審査を請求した緒方正実さんの熊本県交渉、溝口秋生さんの行政訴訟・・・。その後の水俣病闘争の主要場面をしっかり収録している。そして、6万5千人の新たな未認定患者に対する2009年以降の特別措置法~第二次決着。それを受けるかどうかでの、ある患者家族の話。それを受けずに訴訟を続ける人々。


■ 認定患者の暮らし

 映画の続きでは、生駒さん夫妻、坂本しのぶさん母子、実子さんご家族、孝子さんご家族など、初期に認定された症状の重い患者家族の近況が描かれる。還暦を超えて今も懸命に生きる胎児性患者それぞれの姿は、「水俣病は終わらない」という現実を端的に伝える。

大阪の川上敏行さんが水俣のある夫妻の出逢いの仕掛人だったこと。しのぶさんの物語。ほっこりしたり、時に笑えるエピソードは、観てのお楽しみである。

 「水俣湾の水銀ヘドロは大丈夫か?」という点では、水中撮影からCG処理までを多用して、実情が視覚的にもわかりやすい。


■ 映像の持つ力

緒方正実さんが患者代表として天皇皇后に講和をした動機。石牟礼道子さんが患者さんの「許す」の語に言及したこと。近年、様々な議論があったテーマについても取材報道されている。

 かと言って総花的なオムニバス映画ではない。「水俣病も被害者の闘いもまだまだ終わっていない」ということを、未認定問題(感覚障害をめぐる医学論含む)をしっかり中心軸に据え、そして胎児性などの患者・家族の暮らしの姿を描いた渾身のドキュメンタリー。休憩をはさんで三部を上映する大作だが、息もつかずに走馬灯を見るような6時間余だった。

 「水俣病は終わっていない」と文字で伝えることに腐心している者としては、大画面いっぱいに展開する映像の迫力と説得力に圧倒された。


久保田 好生(東京・水俣病を告発する会/季刊「水俣支援」編集部)


ロシナンテ社『むすぶ』2021年9月号 

「水俣病六〇年のQアンドA(連載53)」を一部補正して転載


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