水俣と私たちの「距離」(2)鉄道日本列島に暮らす私たちにとっては、東京―水俣の直線でも千キロという距離は、遠い。水俣や不知火海への旅案内も兼ねつつ、地理的な距離について考えていく。今回は鉄道編。 ■昔の定番:寝台特急「はやぶさ」 桑原史成写真集『水俣事件』(藤原書店)には、ともに故人となられた日吉フミコさ...
坂本しのぶさんインタビュー(「水銀に関する水俣条約推進ネットワーク」制作・公開)1972年6月5日、ストックホルムでの「国連人間環境会議」で当時15歳だった坂本しのぶさんが水俣病の被害を世界に伝えました。 それから今日で50年。「水銀に関する水俣条約推進ネットワーク」から、坂本しのぶさんにインタビューした動画が公開されました。ぜひご覧ください。...
アイリーン・美緒子・スミスさん 写真集『MINAMATA』当時を語る @相思社②ユージン・スミスの共同作業者であるアイリーン・美緒子・スミスさんが水俣病センター相思社の歴史考証館を訪問し、写真集『MINAMATA』の製作のために水俣に滞在していた頃のことを振り返ります。この動画はパート2です。
【イベント案内】チッソと国の水俣病責任を問うシンポジウム No25:先人に学び、「水俣病切り捨て」と闘うハリウッド映画「MINAMATA」で半世紀前の患者家族の闘いに注目が集まり、また原一男監督「水俣曼荼羅」では今も終わらぬ水俣病が深く伝えられました。 しかしこの3月、被害者互助会の裁判で、原告全員を「水俣病ではない」とする不当な判決・決定が相次ぎました。司法までもが「患者切...
アイリーン・美緒子・スミスさん 写真集『MINAMATA』当時を語る @相思社①ユージン・スミスの共同作業者であるアイリーン・美緒子・スミスさんが水俣病センター相思社の歴史考証館を訪問し、写真集『MINAMATA』の製作のために水俣に滞在していた頃のことを振り返ります。この動画はパート1で、パート2まであります。
水俣と私たちの「距離」(1)今なお現代史に被害と闘いを刻み続けている水俣病。首都圏から遠いことで、被害発生期にどんなリスクを負わされたかを、同時代の東京湾汚染との比較で考えてみます。 そして、現在の水俣や不知火海への交通アクセスもご案内します。 1. 東京湾の水質汚染・漁民闘争との比較 ■...